醍醐天皇(だいごてんのう、885年2月6日〈元慶9年1月18日〉- 930年10月23日〈延長8年9月29日〉)は、日本の第60代天皇(在位:897年8月4日〈寛平9年7月3日〉- 930年10月16日〈延長8年9月22日〉)。諱は維城(これざね)、のちに敦仁(あつぎみ・あつひと)。臣籍の身分として生まれた唯一の天皇で、はじめ源維城といった。のち父の即位とともに皇族に列し、親王宣下ののちに敦仁親王に改めた。
宇多天皇の第一皇子。母は内大臣藤原高藤の女藤原胤子。養母は藤原温子(関白太政大臣基経の女)。

醍醐天皇【だいごてんのう】
平安前期の天皇。宇多天皇の皇子で,897年宇多天皇の譲位により即位,930年まで在位。左大臣藤原時平,右大臣菅原道真(みちざね)の補佐を受けたが,道真は左遷され,時平の死後は忠平の補佐を受け,直接政治を行った。その治世は村上天皇の時代とともに〈延喜・天暦(えんぎてんりゃく)の治(ち)〉といわれたが,律令政治は衰えていった。
→関連項目意見十二箇条|宇多天皇|菅家文草|寛平御遺誡|古今和歌集|信貴山縁起絵巻|多武峯少将物語|三善清行|吏部王記
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